待乳山聖天のおみくじ「観音くじ・元三大師くじ」の解説

著者・田中(あらいちゅー)の自画像田中(あらいちゅー), 馬主で大家で占い師田中(あらいちゅー) @araichuu Twitter

待乳山聖天のおみくじは凶ばっかり出て怖い!?

観音くじ

待乳山聖天(と浅草寺)のおみくじは凶が多くて怖い、という話を聞いたことはないでしょうか。

実際に引いてみるとポンポン凶が出るうえ、解説文もシビアで甘くなく、妙なリアリティがあります。他の寺社仏閣のおみくじとは一味違うんですね。

個人的には結果が厳しいぶん当たると思っているのですが、サービス精神のない(?)このおみくじの正体を知りたいという人も多いようです。

というわけで今回は、浅草寺で使われているおみくじ「観音くじ」と、その大元である「元三大師くじ」についてのお話です。

筆者について:本記事の筆者・田中(あらいちゅー)は、20年以上にわたり待乳山聖天の信徒として定期的に参詣しており、境内で実際に観音くじを繰り返し引いた経験に基づいて本記事を執筆しています。一般的なおみくじ解説記事と異なり、実地での引き方・解釈の実感・寺院での質問応対の様子など、現地でしか得られない情報を反映しています。

待乳山聖天のおみくじは「観音くじ」と言われるもの

待乳山聖天では、本堂の下陣脇で「観音くじ」というおみくじを引くことができます。

待乳山聖天のおみくじの引き方

100円を賽銭箱に入れて、筮筒のようなものから竹の棒を振り出して、棒に書かれた番号の紙を後ろの小棚から自分で持ってくる、という形式です。浅草寺でも香炉の脇に同じようなブースがあります。

待乳山聖天のおみくじの意味の調べ方

紙には漢詩が書いてあり、一応「吉」「凶」といった判定や解釈も書いてはあるのですが、漢詩が難解で、それだけでは正直何が言いたいのかイマイチよくわかりません。

お寺の人に聞いても意味を教えてもらえる

そこで筮筒脇に置いてある「観音籤」と書かれた解説書を読むことになります。これで大体の意味がわかりますし、よくわからない場合はお寺の人に聞くと内容を教えてくれます(お寺の人が忙しそうにしている時は遠慮しましょうね)。

そして何とこの解説書、おみくじの番号に易卦を割り振ってあるのです。易のわかる人は、さらに深くおみくじの内容を分析できます。

しかし、易卦は合計で64卦しかないのですが、このおみくじは1番から100番まであります。果たしてこれは占いなのでしょうか、おみくじなのでしょうか?

「観音くじ」は中国のおみくじだった!?

待乳山聖天さんや浅草寺さんのおみくじは、奇異なものでも、異端なものでもありません。

これは「観音くじ」もしくは「元三大師くじ」と呼ばれているもので、仏閣でのおみくじとしては結構ポピュラーなものなのです。

実際のところ、天台宗系の寺院では(体裁は違うものの)ちょくちょく同じものを見かけます。

この観音くじのルーツですが、中国で流行していた「天竺霊籤」と呼ばれるおみくじが日本に輸入され、それを天台宗の高僧・良源(右写真・wikipediaより引用)が整理したものだと言われています。

ここから「観音くじ」という呼び名のほか、良源の通称である「元三大師」の名をとって「元三大師くじ」とも呼ばれています。

※「天竺霊籤」が起源なのではなく、良源が観音さまに祈念して偈文を授かったものが起源だ、という主張もあります。

元三大師・良源の肖像(Wikipedia より引用)

面白いことに、この観音くじを全国に広めたのは、徳川家康に仕えた高僧・天海大僧正だという伝説があります。

天海は夢の中で崇敬する良源に出会い、「すごいおみくじセットが戸隠に隠してあるので、万民救済のため探し出して広めるように」と言われ、さっそく戸隠に人を派遣してこれを持ち帰ったそうです。どこまで本当なのかはわかりませんが…。

要するに、良源が中国のおみくじを整理して戸隠の山中に隠し、それを天海が持ち帰って日本中に広めたものが「天竺霊籤」であり、浅草寺や待乳山のおみくじのルーツなのではないか、という話なのです。

このあたりは早大院で東洋美術史を修めた中村公一先生の「一番大吉!―おみくじのフォークロア (あじあブックス)」に詳しいので、興味のある方は読んでみてください。

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江戸時代のおみくじは数字が書いてあるだけだった

前掲書の中村先生によると、江戸初期のおみくじは寺社で数字の書かれた竹棒を引くだけのもので、結果の書いてある紙はもらえなかったそうです(これは香港や台湾のおみくじと同じ形式ですね)。

そこで参拝者は自分でおみくじの解説書を持参して、出た数字に対応するお告げを調べるというスタイルに落ち着いたのだとか。そういった経緯で、おみくじの解説書が多数市販されるようになったんですね。

要するに、そういった解説書の一つに易卦を用いておみくじを説明したものがあり、それが待乳山さんに備え付けられていた、というのが事の真相なのでしょう。

ちなみに、待乳山さんの解説書はボロボロで表紙が無いためよくわからないのですが、この解説書は江守録輔氏の『周易対照観音籤新釈』(昭和7年刊)という本です。

古本屋で買うと2万円くらいしますが、最近になって復刻再販されたので、占術専門の書店であればそれほど高くない値段で手に入れることができます。気になる方は店頭で尋ねてみてください。

おみくじの凶が全部、凶ではない!?

おみくじの解説書が何種類もあるということは、「観音くじ」に書かれた漢詩1つに対して、どういう意味なのか、吉なのか凶なのかの見解が分かれていると言うことです。

漢詩を前半と後半に分けて、時間の流れに合わせて判断するという易のような技法(?)もあったようで、吉なのか凶なのか解りにくい漢詩や、前半と後半で雰囲気が大きく異なる漢詩などは、解釈が入り乱れて相当カオスなことになっているようです。

おみくじの解釈ってどうやるの!?

「じゃあ、俺の引いたこの61番は一体何なんだ!」「どの本の解釈が正しいんだ!」

…といったお声をいただきそうですが、実に頭の痛いところです。

あくまで「引いたお寺に備え付けられている本」や「引いたお寺の紙に書かれた吉凶」を信じるか、もしくは自分で漢詩の解釈をするかです。

個人的には、本を参考にして、自分で漢詩を解釈するのがよいかなあ、と思います。

江戸時代のおみくじの引き方は大変だった

もともと観音くじは「ご真言を千回と観音経を3回唱えた後に引く」「僧侶に観音経を読経してもらって引く」という気合いの入ったものだったらしく、「験」の出るときは、問いたい内容がおみくじの中の漢詩に反映されることが多いと思います。

こういう時は、おみくじに書かれた吉凶よりも、漢詩の内容を参考にした方がいいのかもしれません。高島流の周易のようなものでしょうか。

そこから考えると、おみくじを引く前に観音さまや聖天さまの勤行をしたり、ご真言を唱えたり、観音経を読んでから引くと、いつもより「験」が出やすいのかもしれません。

待乳山聖天と歓喜天信仰について

本龍院公式サイトによれば、待乳山聖天(まつちやましょうでん)は正式には本龍院(ほんりゅういん)と言い、推古天皇3年(595年)の開創と伝えられる古刹です。浅草寺より古い歴史を持ち、聖観音を本尊とする浅草寺に対して、待乳山聖天は歓喜天(大聖歓喜天)をご本尊としています。

歓喜天は元はインドの象頭神ガネーシャを仏教に取り入れた尊格で、夫婦和合・商売繁盛・子宝・災難除けのご利益があるとされています。本尊そのものは秘仏で直接拝むことはできませんが、境内には歓喜天にちなんで「大根のお供え」の文化が今も息づいており、大根をかたどった奉納や浴油祈祷などの独特の行事が年中を通して行われています。

筆者は長年にわたって月参りを続けており、四季それぞれの境内の佇まい、大根祭りや聖天浴油祈祷などの年中行事、常連の参拝者や寺務員の方々との交流を通じて、紙の資料だけでは伝わりにくい「場」の雰囲気を体感してきました。本記事における観音くじの解説も、この長年の体験に基づく一次情報を反映しています。

天海大僧正と元三大師くじの伝説

観音くじ(元三大師くじ)が全国へ広まった背景には、江戸幕府初期の天台宗高僧・天海大僧正(1536?-1643)にまつわる伝説が関わっているとされます。天海は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕え、江戸の町割り、寛永寺の開創、日光東照宮の造営などに関わったと伝えられ、江戸時代の精神的基盤を築いた人物のひとりとして語られています。

伝承によれば、天海はある夜、夢告によって信州・戸隠山に赴き、そこに伝わっていた元三大師良源ゆかりの百籤(おみくじ)を持ち帰ったとされます。もっとも、良源(912-985年)と天海とのあいだには500年以上の隔たりがあるため、実際に良源本人が戸隠に籤を隠したという字義通りの解釈は史実としては難しく、あくまで後世に創られた伝説譚として理解するのが妥当でしょう。それでも、百本の竹籤と漢詩の組み合わせという形式が戸隠周辺の寺院に古くから伝わっていた可能性を示すエピソードとして、おみくじ史の文脈で広く語られています。

天海は持ち帰った籤を「万民救済のため」広めるよう説き、全国の天台宗寺院を通じて流布させたと伝えられます。こうした経緯により、江戸時代中期までに元三大師くじが日本のおみくじの実質的スタンダードとなり、現代のおみくじ文化の直接的な祖型になったと考えられています。浅草寺や待乳山聖天のおみくじが「観音くじ」と呼ばれるのは、この元三大師くじを観音信仰の文脈で再編したためです。

筆者が長年通うなかで、同じ聖天信者の古老から聞いた話では、観音くじを引く前に「南無観世音菩薩」と唱えたり、観音経を繰り返し読唱してから引くのが本来の作法だったとのこと。効率重視の現代では省略されがちですが、この作法をできるだけでもきちんと行うと「験(げん)」が出やすく、当たりやすいというか、漢詩のメッセージが腑に落ちやすい…と筆者は感じています。

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待乳山聖天のおみくじのまとめ

というわけで、待乳山聖天のおみくじは、

  • 内容が厳しいぶんよく当たる
  • 意味がわからない時は備え付けの本を参考にする
  • 決して奇異なものでも珍しいものでもない

ということになります。信仰のある人が本気で引けば、それなりの結果を返してくれる心強いおみくじです。

怖い、当たらない、凶ばかり出ると恐れずに、ご神仏のメッセージだと思って心を鎮めて引いてみましょう。

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