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中村先生のお墓は、奈良県にあるそうです。
二代目占い師の人ですが、先代が日本運命学会の会員で、
場所などを聞いたことがあるそうです。
中村先生は亡くなられたのが昭和55年で、お墓は50
年か51年頃に建てたそうなので、内藤先生には後で見
てもらったのでしょうか。
日本だと昭和40年代になるのですが、台湾で風水の大
ブームがあって、風水と名前がつけば、どんな本でも売
れたそうです。
中村先生も当時に、風水の研究を熱心にしていたそうで
す。
張先生が鴨書店から、昭和40年頃に奇門遁甲大法の本
を出し、風水についても書いていたので、情報ルートは
あったのでしょう。
加藤先生の主催した団体の先生たちも、風水について知
っていたそうですが、明治期の土葬騒動を覚えていた人
もいて、自然と立ち消えになったようです。
明治時代に陽宅風水が、家相として普及していったのに、
陰宅風水が墓相の形でも広まらなかった、要因の一つの
ようです。
明治の廃仏毀釈の嵐のとき、太政官布告で火葬が禁止さ
れ、神道式の土葬だけが許可になりました。
江戸時代からの250年近い火葬が禁止されたので、墓
地不足や経済的影響から、特に都市部では大混乱になっ
たそうです。
明治政府も驚き、この布告は3年で廃止されたそうです。
火葬設備の不足していた地方では、大正時代までは土葬
もあったそうですが、陰宅風水は在郷地(田舎)のもの
と、明治時代の風水地相書にはあったそうです。
また二度葬や洗骨なども知られており、野生動物による
遺骨への被害や、衛生的な面も嫌われていたそうです。
昭和40年代の台湾での風水ブームも、陰宅風水が大部
分であり陽宅風水が増えたのは、日本で家相が盛んなこ
とが、逆輸入されたとも言われているそうです。
何度も日本で立ち消えになりかけた風水ですが、鮑先生
やドクター小林氏が、様ざまなメディアを利用して、風
水という単語を定着させたようです。
中国式、日本式なとの批評は別として、この人達がいな
ければ今の日本で風水師を名乗る人は、いなかったので
しょう。