怪フェスに来た人たちの話
たぶん、これも内藤文穏氏の機関誌で見たらしいそうだが、最初の一般書を出した時に聞かれた質問らしいとのこと。
風水では山々の連なる形を、動物などの形になぞらえて、「××形」などと名付け、吉・凶を判定する方法(ラントウ?)があるそうで、最初の一般書の中にその一部を書いたらしいとのこと。
その本を読んだ人に「どうして古代中国の人は、航空写真で見るように、山々の具体的な形が分かったのですか?」と、幾度か質問されたらしいとのこと。
日本と中国の、国土の広さの違いや、文化の違いを感じたらしいとのこと。
日本にも「見立て」の文化があり、推理小説の見立て殺人だけではなく、落語などで扇子を箸のようにして食事の場面を演じたり、日本庭園では高い丘を山と見立てたり、「箱庭」や「盆栽」などでも、様々な「見立て」の歴史があるとのこと。
でも国土の狭い日本では、山をひとつ超えると他の国、長い江戸時代なら別の藩になり、簡単には超えられないことが多く、平地から眺めた山々であり、その「見立て」をして名づけをしても、平地から見た形になったかもしれない、と思ったらしいとのこと。
国土の広い中国では、シルクロードではないが、果てしなく続く大地や、果てしなく続く山々があり、山々を超えた土地まで旅をすることも多く、同じ「見立て」でも違うものになったかもしれない、と思ったらしいとのこと。
ラントウという方法が、風水では歴史的に基本になるもので、風水についての紹介や説明はしたが、日本に風水が根付くとしても、別の形のものになるかもしれない、あるいは一時的なものになるかもしれない、そんな風に曖昧に感じていた雰囲気が機関誌にあったらしく、奇門遁甲、方位、などに中心がおかれていった、かもしれないとのこと。
機関誌には、具体的な方向性のようなことは書かれていなかったらしいが、内藤文穏氏の本などの軌跡を見ると、個人的な勝手な感想かもしれないが、そんな風に窺われるとのこと。