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- このトピックには1,962件の返信、1人の参加者があり、最後に
雑談により1時間、 9分前に更新されました。
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鈴木
ゲスト静岡の鈴木です。
返信を纏めて。
18093番へ。
占いも、暦や、特定の時間の星の位置など、時間に関わることが基本だと思うせいか、図書館から時間に関する本を、数冊借りて読んだらしいそうで、いろいろな分野や立場からの考えが、面白かったとのこと。
推命も、六壬も、奇門遁甲も、断易も、いつ、何を・・と、時間が最重要項目だと、改めて思ったとのこと→本当に時間や干支は大事です。
時干支不明の命式は大変です。
18094番へ。
占いの時間「占機(?)」と「太極」について、何度も記載があったとのこと。
占いの依頼は郵便だけだったので、その届いた時間、どこの県から来たのか、書かれている文字、から鑑定が始まったかもしれないとのこと→普段と違う事が発生したらその時の日や時干支で占う方法がある。
18100番へ。
曽子南氏三元奇門遁甲講義(上・中・下)だが、黒門先生がスーパーTV情報最前線(05年)でタイトルを誤魔化していた本らしい(メルカリに出品された時に知った)。
18134+18135番へ。
昭和50年頃に内藤文穏氏の本だったかもしれないが、風水の方法としての玄空大卦という言葉を初めて見たかもしれないとのこと→玄空大卦はそもそも、清代の張心言が開祖となり、その後、曽子南氏を経て、妙派の陳倍生老師へ伝承され改良されたとのこと。
あの本がキッカケだったかもしれないが、六十四卦を六十干支に変換する方法について、色々な意見を言う人達がいたように思うが、あれはどうなったのだろうと思うとのこと→六十四卦の風水活用法は、一般的には、六十四卦分金、抽爻換象、三元派応期判断、玄空大卦の択日法の4つになるのでは?
18139番へ。
透派と違う奇門遁甲の人と、知っていたとのこと→後で詳しく分かりますか?
18170番へ。
「孔氏易盤易解」「陽宅秘旨・選択秘要」「孔氏玄空宝鑑」 ~ 著者は、全て孔昭蘇→自宅には孔氏玄空宝鑑を置いてあり、これだけは分かる。
6月13日訪問の鴨書店で孔氏玄空学の系統と思える本を発見するも、予算の都合で断念。
これはタイトルを覚えておくか写真撮影をすれば良かったです。
以上、纏めて返信。雑談
ゲスト18174 あの頃は・・の回答ばかりで、時系列的な整理が困難だが・・
六十四卦の風水活用法は → 4つになるのでは
透派と違う奇門遁甲の人 → 後で詳しく分かりますか大阪に透派式の教室があって、テレビ局の有名な人もいたらしいが、趣味の人ばかりで、プロの人は少なかったはずとのこと。
台湾系の人もいて、いろいろな噂話や、雑談的な話が多かったはずとのこと。
ネットのない時代だが、宣伝・広告と混じって、いろいろなことが聞こえてきたはずとのこと。内藤文穏氏の「密儀」は昭和47年、48年ころの本らしく、非売品扱いらしかったが読んだ人が多く、台湾は何でもアリ、奇門遁甲も流派がたくさんと、聞いていたらしいとのこと。
阿部泰山式の土地だが、至明学舎(加藤普品氏の流派)や、中京地区の流派らしかった、四星命学という流派の人たちもいたらしいとのこと。
透派にはたくさんの占い教室があったが、四柱推命と奇門遁甲と断易(光山流)がメインと、言われていたらしいとのこと。台湾系の人の話だったらしいが、曾子南氏は台湾では一番有名な風水の人だったらしいとのこと。
弟子にならないと本をもらえないと聞いていたが、本を持っていた人がいたらしいとのこと。書籍名は不明とのこと。
元空大卦の名前は、内藤文穏氏の「密儀」のどこかにあったらしいとのこと。
曾子南氏の本は、64卦と60干支の関係など、数式を使って説明するものが多く、その計算方法などに、異議をとなえた人たちがいたらしいとのこと。
奇門遁甲は、そのころは透派式の人がメインで、奇門遁甲会という団体もあったらしいが、更に古い時代の古書の方法を教える、台湾系の人たちもいたらしいとのこと。雑談
ゲスト18139の人
透派の教室に通ったが、内藤文穏氏は方位については教えない、鑑定をするだけだと有名だったので、大阪への移転鑑定を依頼したらしいとのこと。
独特な鑑定で、あえて名前を付けるなら、気学八門遁甲なのかもしれないと、話していたらしいとのこと。
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