田中(あらいちゅー), 馬主で大家で占い師
男運の上げかた
男運の上げかたを占い師の視点から考える
「男運の上げかた」について考えてみたいと思います。若い友人を占うときに、だいたい出てくるトピックですね。
ここでは、お年頃の女子たちに協力を依頼して、男運をアップさせる実験をした際のお話と、男運を上げるためにはどうすればいいのか、そもそも男運とは何なのかという考察をやっていきたいと思います。
※先にお断りしておきますが、これはとりとめのない私の随筆であり、脳が思いついた言葉を推敲せずにタイプしているだけですので、科学でも統計でもありませんし、再現性を保証するものではありません。
※あれやこれやといったクレームは無視するか、無条件で適当に謝罪させていただきます。そういうノリでお読みください。
男運の定義とは
男運の上げかたを云々するまえに、まずは男運の定義をしたいと思います。実はこれ、難しいテーマですよね。そもそも男運って何、ってことです。
以前に他のページでも書いたの気がするのですが、「昔から悪い男ばかりとつき合ってきて…まだ独身で…」という女性に「いままで男運がなかったんですね」と言ったら、「いや違う!私は男運バッチリだ!」と強く反論されたことがありました。
どうもその女性にとっては「出会いが沢山あって沢山の男性とつき合ってきたから私は男運がいい」という判断だったらしいんですね。
しかし現実問題として、幸せの終着駅にトライを決めたという状態ではないわけです。むしろ、日々男性にイライラしている。それって、本当に男運がいいのでしょうか?
男運というものを分解する
いい男と出会い、恋人もしくは夫婦になるのが男女交際ゴールであることは、まず異論がなかろうと思います。そう考えると、男運というのは「出会うための運」と「いい男を捕まえる運」に分解できると思います。
ようするに男運は「いい男と出会えてそれを捕まえられる」運の強さだということになります。
というわけで、このページでは男運をそうしたものだと考えてお話を進めていきます。
男運があがって彼氏ができた!?
さていよいよ、男運を上げる実験の話です(数年前の実話です)。
私は遁甲や風水といった開運系・方位系の占術を少々かじっているのですが、いくつかの開運法を組み合わせ、自分なりに男運アップの実施要項をまとめ、女子数人に実験してもらいました。
すると結果、参加者のうち2人にお相手が出来ました。
その後の追跡調査をきちんとしていませんし、実験の回数(母数)が少ないので、あやふやで眉唾な話だと思っていただきたいのですが、男運の構成様相のうち「出会いを増やす」「出会った相手を仕留める」という部分に関しては、方位術と命術を応用するとこで何とかなる、という手応えがありました。
たとえば遁甲などを使うことで運勢の基礎体力を上げて、紫微斗数や四柱推命、インド占星術などの命術を使って「どういった男を」「どこで狙うか」「どうアプローチするか」といったことを考えていくわけです。
ところがこれは「出会いを増やす」「捕まえる」という点では効果があると思うのですが、その相手がよい男なのか、本当に一緒になって良いのか、という点に関しては自信がありません。
ここはもしかすると、命術で相手の男性の人間性を読んだり、そもそも神頼みする分野なのではないか、という気もします。
というわけで、あっさりした結論で大変恐縮ですが、今のところは「方位と命術の応用」+「神頼み」が一番よいのではなかろうか、と考えています。
やせた土地を掘っても何も出てこない
開運法をあれこれ実験する課程で気が付いたのですが、そもそも周りに男がいない、女がいないという状況では、だいたい何をやってもやらせても無駄で、効果が出ませんでした。
なにか男性・女性と接点をいくつか作ってから実行するか、実行してから接点を作るようにする必要があります。
…といっても、これは当然のことですね。資源がない土地を掘っていても何も出ませんし、運が良くなれば突然玄関のチャイムが鳴って「ピンポーンいい男です!」となるわけでもありません。
自分の魅力を高めたり、相手をはじめとするどこで探すかをアドバイスしたりするのも、また占い師ができる「男運の上げかた」であるわけです。
人相術の応用で、人相が良くなるようにメイクする術があるそうですが、それと似たようなものかもしれません。
復活愛にも通用するか?
今までの考察から類推すれば、復活愛で最後の勝負をかけたい!という時に開運法を使っても効果が上がるように思うのですが、これも冷静に考えれば前提条件がつきます。
お互い、もしくはどちらか片方が「もうあかん」と思って別れたわけですから、その原因がなくなっているか、問題にならない大きさになっていないと、そもそもの勝ち目のない勝負になるように思います。
やはり占いは魔法でもなんでもなく、占い師と相談者が共に作り上げるもので、かつ地に足が着いていないと、なん役に立たない生活のテクニックなのではないでしょうか。