田中(あらいちゅー), 馬主で大家で占い師
天中殺の歴史と謎
天中殺って誰が言い出したの?
占いファンでなくとも「天中殺」という言葉を知っている人は多いと思います。この天中殺、一体いつ誰が言い出した言葉なのでしょうか。そこには算命学とテレビを巻き込んだ大きなドラマがありました。
「天中殺」という言葉を誰が作ったのかは論じませんが、一般的にしたのは和泉宗章(初代)という元占い師です。
和泉宗章氏は若いころに高尾義政師に師事して算命学を学びました。そこまではよかったのですが、「算命占星学入門」「天中殺入門」という本が売れに売れだしてから、和泉宗章氏の人生の歯車が狂っていきます。
「算命占星学入門」で人生が変わってしまった
「算命占星学入門」が売れに売れた結果、和泉宗章氏はメディアで引っ張りだこになり、公開で予言のようなことを行うことになります。
その中で有名なのが「11PM」という当時大人気だった深夜番組で、番組中で「巨人の長嶋茂雄が監督を引退する」という予言をブチあげてしまいます。
しかしこの予言は当たらず、和泉宗章氏は天中殺が当たらない、算命学は当たらない、占い師はインチキだということで、社会的な批判を浴びることになります。
占いを否定して告発する側に転身する
和泉宗章氏はそれに耐えかねたのか、なんと占い師の廃業を宣言し、占いと占い師を否定する論客へと転身することになります。これが有名な「占い告発」です。
社会的な影響力の大きさからか、長嶋茂雄引退説が火元であったからか、版元は読売新聞社に変わっています。当時の大騒ぎが目に浮かぶようです。
その後、和泉宗章氏は(占い嫌いの)上岡龍太郎氏などの番組に出演し、有名な占い師殴打挑発事件などにも話がつながってゆくのです。
そして天中殺と算命学が残った
和泉宗章氏は天中殺と算命学だけでなく、占い業界すべてをひとまとめにして批判していたわけですから、占い師側の怒りも相当なものだったと思います。
また、天中殺ですべてを判じようとする行為自体にそもそも反発があったようで、四柱推命と奇門遁甲の研究家であった武田考玄師は、和泉宗章氏の予言が外れる前の1979年に「天中殺をブッタ斬る―天中殺を否定し、幸運をつかむ本」という書籍をすでに出版しています。
帯には長嶋茂雄と天中殺について細かく言及されており、和泉宗章氏を意識しているのは明白です。そして、天中殺と和泉宗章氏の予言がどれたけ話題になっていたかを感じさせますね。
天中殺は当てるものではなく使うもの
天中殺は四柱推命や中国占術で使用されている空亡という理論を抜き出したもので、これ単体ですべてを占おうとするのは間違いです。
四柱推命や算命学では、天中殺をあくまでパーツとして扱っているはずで、天中殺ひとつですべてを判じようとして、テレビという魔物がいる場所で公開予言まで行った和泉宗章氏の転落は、ある意味運命づけられたものでした。
和泉宗章氏は2001年に膵臓がんで死去。現在では二代目を名乗る人物が、和泉宗章として著書を発表しています。
初代の和泉宗章氏と血縁があるのかは存じませんが、占いを愛し、否定し、自ら葬ったはずの和泉宗章氏の名前をまだ使おうとするのは驚きです。当時の和泉宗章氏の名前はそこまで大きかったんでしょうね。
天中殺と自動計算について知ろう
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天中殺を広め、そして人生を狂わされた和泉宗章氏(初代)という元占い師についての記事です。