宿曜占星術の歴史

著者・あらいちゅー(田中)の自画像あらいちゅー(田中), 馬主で大家で占い師あらいちゅー(田中) @araichuu Twitter

夜の寺で僧の宿曜師が27宿の星図を広げる絵巻風の場面

宿曜占星術(宿曜占い)は、生年月日から本命宿を出して、性格や二人の相性、日々の吉凶を読む占いです。本命宿の出し方と仕組みは、宿曜占星術の無料計算ツールのページにまとめています。

このページでは、典拠である『宿曜経』がインドから唐、そして日本へ伝わった道のりを年代順に追います。平安の宿曜師の仕事、27宿と28宿が分かれた理由、インド占星術との違いも、この一本で分かります。

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筆者について:本記事の筆者・田中(あらいちゅー)は、10代から武田考玄流の四柱推命と奇門遁甲を学び、上京後は鮑黎明先生の門下で四柱推命・紫微斗数・風水・断易を修めた占術研究家です。師の没後は林秀靜先生(四柱推命)、東海林秀樹先生(紫微斗数)、CHAZZ先生(インド占星術・ダウジング)などに学び、現在に至ります。宿曜占星術も同じインド系占星術の系譜として関心を持ち続け、20年以上にわたり原典考証と実占の両面から向き合ってきました。地方競馬では断易とダウジングを用いて購入した馬で馬主デビューし、初出走初勝利を達成した経験から、占術を机上の知識にとどめず実地で検証する姿勢を大切にしています。

宿曜占星術の1200年を年表で

宿曜占星術の歴史は、806年の伝来から数えて1200年あまりです。先に年表で全体を見てから、節ごとに読み進めてください。年と出来事は、下の参考文献に挙げた本によるものです。

年 できごと
759年 唐で不空三蔵が『宿曜経』を訳し出し、弟子の史瑶が書き取る(今の巻下)
764年 楊景風が注を付けて編み直す(今の巻上)
806年 空海が唐から帰国し、『御請来目録』に『宿曜経』二巻を記す
847年・858年 天台宗の円仁、円珍があいついで『宿曜経』を持ち帰る
957年 天台僧の日延が符天暦を持ち帰り、星の位置を自前で計算できるようになる
961年 東大寺の法蔵が、村上天皇の本命日をめぐって陰陽師の賀茂保憲と論争する
998年 藤原道長が日記を書きつけた暦に、日曜を示す「蜜」の字が入る
1112年 天永三年の宿曜のホロスコープ(宿曜盤)が作られ、今に残る
1267年 西園寺公相の死を宿曜勘文が日時まで言い当てたと伝わる
1684年 貞享の改暦で、暦の宿が27宿から中国式の28宿に変わる
1736年 学僧の覚勝が古写本を校合した『宿曜経』を高野山で出版する(覚勝本)
1849年 堅雄が『宿曜経撮要』を著す
1906年 岡崎立命(虚空庵)が『二十八宿秘密奥儀伝』を出す
1941年 高野山の森田龍僊が『密教占星法』上下二巻を出す
1948年 高野山の岩原諦信が『光の宗教 新訳宿曜経』をまとめる(序文の年)
1986年 矢野道雄『密教占星術』が出て、文献学からの見方が一般に広まる
1990年・2011年 上住節子『宿曜占法』、羽田守快『密教占星術大全』と、僧侶による実占の本が続く

インドの月の宿から『宿曜経』へ

宿曜占星術の土台は、インドで生まれた「月の宿」の考え方です。そこにギリシア伝来の惑星と十二宮の占星術が重なり、唐で仏典の形にまとめられたものが『宿曜経』です。

月の宿はインドで生まれた

「宿」とは月の泊まる場所という意味です。月はおよそ27日で星空を一周するので、一晩ごとに月が泊まる星を27か28に区切り、それぞれに名前を付けました。宿の研究者であるKタロー氏は、筆者との対談で「もともと月の朔望から宿が生まれた」と語っています。インドの古い文献には、月の運行による28の宿ごとの吉凶が書かれていたそうです。

中国にも二十八宿があります。矢野道雄先生は、『宿曜経』の宿の名は翻訳のために中国の二十八宿から借りただけだと述べています。空の区切り方はインドのものです。名前が同じでも、指している星は一致していないのです。

ギリシアの占星術が重なった

Kタロー氏は対談で、インドにギリシアの占星術が入って「宿と月の位置が融合した」と説明しています。宿は月の満ち欠けから生まれ、惑星の位置計算と十二宮はギリシア系の要素です。矢野先生も、相性に使う9つの区分に当たるサンスクリットの術語がインドの文献に並んでいると書いています。『宿曜経』の中身は、インド占星術の流れにあります。この二つの出どころの違いが、あとで述べる27宿と28宿の分かれ目にもつながります。

不空三蔵と759年の漢訳

『宿曜経』の序文には、乾元二年(759年)に不空三蔵が訳し出し、史瑶が書き取ったとあります。ただし文章が煩雑で、学ぶ人には使いにくかったそうです。そこで広徳二年(764年)に、弟子の楊景風が不空の指図を受けて注を付け、編み直したと序文は続けます。矢野先生は、史瑶がまとめたものが今の巻下、楊景風が手を入れたものが巻上だとしています。不空はインド系の僧で、史瑶と楊景風は中国人です。

正式な経名は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』です。文殊菩薩と仙人たちが説いた、という題ですが、矢野先生は、文殊菩薩の名は書物に権威を与えるために借りたものだと見ています。矢野先生は、この経がインドの原典から訳されたものかどうかも疑わしいとしています。内容はインド占星術そのもので、仏教の教理とは関係がないというのが矢野先生の見方です。

空海が日本へ伝えた『宿曜経』

空海が唐から宿曜経を持ち帰る場面のイメージ(806年)

『宿曜経』は806年、唐から帰国した空海が日本へ持ち帰りました。ただし、日本で実際に占いとして使えるようになるまでには、そこから150年かかりました。

806年の請来

不空の弟子が唐の密教僧・恵果で、恵果の弟子が空海です。空海は大同元年(806年)に多くの経典を携えて帰国しました。その目録である『御請来目録』に「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経 二巻四十紙」と記されています。矢野先生は、『宿曜経』がこのとき初めて日本に伝えられたと書いています。

円仁と円珍

空海に続いて、天台宗の円仁が847年に、円珍が858年に『宿曜経』を請来しました。円仁の年を848年とする本もあります。矢野先生は、これらの経典をもとに宿曜道という占いの一派ができたと述べています。

すぐには使えなかった理由

伝来のあと、『宿曜経』は当初、一部の高僧のあいだで仏事の日取りを決めるために使われました。上住節子師は、出家や伝法の期日の吉凶を見るのが最初の使い道だったと書いています。

占いとして本格的に使うには、星の位置を自分で計算できる暦が要ります。矢野先生は、『宿曜経』だけでは陰陽道に対抗できなかったと述べています。空海のあとに唐へ渡った学僧たちは、より専門的な占星術書と暦法を求めました。その答えが、957年に天台僧の日延が持ち帰った符天暦でした。矢野先生は、これで陰陽道や暦道に頼らずに占星術ができる体制が整ったと書いています。羽田守快師も、日延の帰国から本格的に宿曜道が始まったとしています。

平安の宿曜師と宿曜道

宿曜師は、貴族や皇族の生年月日から吉凶を書いた鑑定書「宿曜勘文」を作る密教僧でした。平安中期には陰陽道と張り合うほど盛んになり、鎌倉時代に頂点を迎えました。

宿曜師の仕事

宿曜師が貴族に差し出した鑑定書を、宿曜勘文と言います。桃裕行氏の収集によると、勘文には生まれたときの星を読む生年勘文、その年の運を読む行年勘文、日食と月食の勘文の4種類がありました。鎌倉時代の勘文には、日月と五惑星に羅睺・計都を加えた九曜の位置が示されていました。羽田師によると、性格、幸福、災厄、病気、寿命、臨終まで8項目の判断が書かれています。

符天暦は日延から東大寺の法蔵に伝わりました。羽田師は、宿曜道は当初、比叡山や東寺ではなく奈良の寺を中心に形づくられたとする山下克明氏の研究を引いています。

陰陽師との競い合い

陰陽道は朝廷の役所である陰陽寮が受け持つ、中国系の暦と占いです。宿曜道はそこに割って入りました。羽田師によると、961年には東大寺の法蔵が、村上天皇の本命日の決め方をめぐって陰陽師の賀茂保憲と論争しています。暦の月の大小や日食の予報でも、宿曜師と暦道は何度もぶつかりました。

日本の官暦は、862年から1684年まで宣明暦でした。矢野先生は、宿曜師たちは符天暦を使って宣明暦の陰陽師に対抗していたと書いています。宿曜師の相手は宮中と貴族でした。上住師も、『宿曜経』は宮中と一部の僧のあいだで使われ、武士の社会で一般化することはなかったと述べています。

物語と日記に残る宿曜

『源氏物語』には「宿曜のかしこき道の人」という言葉が出てきます。矢野先生は、これを専門の宿曜師が生まれていた証しとして挙げています。

藤原道長が日記を書きつけた暦は、998年から残っています。矢野先生は石田幹之助氏の論文を引いて、日曜に「蜜」の字を記したこの暦を、七曜が入った暦として最も古いものだと紹介しています。曜日という考え方そのものが、『宿曜経』とともに日本へ入ってきたのです。

宿曜勘文とホロスコープ

天永三年(1112年)の宿曜のホロスコープ(宿曜盤)が、今も残っています。当時の占文と星の図については、宇代貴文氏の論文「円形式北斗曼荼羅考 高山寺蔵『宿曜占文抄』をめぐって」(PDF)が扱っています。羽田師は桃裕行氏の研究を引いて、1267年の西園寺公相の死について、宿曜勘文が日時まで当てていたと書いています。

衰えたあと、近現代の復興

宿曜道は鎌倉時代を頂点に衰え、室町のころには表舞台から消えました。それを近代によみがえらせたのは高野山の僧たちで、戦後は文献学者と実占家の本が続きます。

中世の衰えと江戸の覚勝本

羽田師は、純粋な形の宿曜道は南北朝か室町初期までだとする桃裕行氏の見方を引いています。山下克明氏の研究によれば、貴族に近づきすぎたために朝廷や武家の妨害を受け、勘文の奏上や行事が減っていきました。宿曜道の本山というべき京都東山の北斗降臨院が火災で焼けると、宿曜師は歴史の表から消えたと羽田師は書いています。

江戸時代には、宿曜の一部が民間に流れました。羽田師によると、二十八宿の日取りの吉凶が民間の占い本に載り始めたのはこのころです。ただし、『宿曜経』とは関係のない説も多く混じっていました。

その江戸時代に、学僧の覚勝が古写本を校合した『宿曜経』を1736年(享保二十一年)に高野山で出版しました。これが覚勝本です。矢野先生は、この本が高野山の各寺院で使われ、大蔵経本よりはるかに原型に近いと評価しています。矢野先生は、日本の写本には27宿の形が長く保たれたと論じていて、覚勝本はその証拠でもあります。

森田龍僊と矢野道雄

近代の研究は、高野山の僧から始まりました。高野山大学の森田龍僊師(1879〜1947)は、1941年に『密教占星法』上下二巻を著しました。矢野先生はこの本を、高野山の学僧による大著として挙げています。そのうえで自分は信仰の外から、占星術の歴史の対象として『宿曜経』を扱うと立場を分けています。

矢野道雄先生の『密教占星術 宿曜道とインド占星術』(1986年)は、『宿曜経』の成り立ちをインド占星術との関係から考証した一般書です。矢野先生は占いを信じない現実主義者です。信じないからこそ、経典のどこがインド由来でどこが中国で加わったかを、冷静に切り出せたのです。

上住節子と羽田守快

森田師に続く実占の本は、やはり僧侶の手で書かれました。上住節子師の『宿曜占法 密教占星術』(1990年)は、『宿曜経』の歴史と実占を一冊にまとめた本です。羽田守快師の『密教占星術大全』(2011年)は、『宿曜経』の全文を現代語に訳し、宿曜道の歴史まで収めています。森田師、上住師、羽田師はそろって僧侶です。矢野先生が信じない立場から文献を読み、僧侶たちが信じる立場から実占を伝えた、という対比が現代の宿曜占星術の土台になっています。

使う宿が27宿であっても、『宿曜経』と仏教、そして開運法は切り離せません。筆者は、この点を忘れないほうがよいと考えています。

僧侶以外の書き手

僧侶以外ではアイビー茜先生、宇月田麻裕先生、小峰有美子先生なども宿曜占星術(宿曜占い)の一般書を著して、この分野に貢献されています。

27宿と28宿はなぜ分かれたか

27宿の星図イラスト(宿曜占星術)

27宿と28宿の違いは、牛宿を日に割り当てるかどうかです。『宿曜経』そのものに両方の数え方が混ざっていて、インドと中国のどちらの流儀に従うかで分かれました。

経は何と書いているか

『宿曜経』巻下には「唐用二十八宿、西国除牛宿」とあります。唐では二十八宿を用い、インドでは牛宿を除く、という意味です。巻上の牛宿の項には楊景風の注があり、インドでは牛宿を吉祥の宿として毎日の午の時(正午)に当て、日には当てないと書いています。

矢野先生は、不空が説いたのは主に27宿だったと論じています。中国人の楊景風がところどころ28宿に改め、大蔵経本ではさらに中国風に変わりました。日本に伝わった写本は27宿のまま長く保たれ、暦の上でも1684年の貞享改暦までは27宿が使われていたそうです。羽田師も、日本では『宿曜経』の注にしたがって牛宿を日に当てず、27宿にしたと書いています。

27宿と28宿の比較

項目 27宿 28宿
牛宿 日には当てず、正午の時刻に当てる 斗宿と女宿のあいだに入れて1日分数える
どこで使われたか インドの実占、日本の写本と宿曜道、1684年までの日本の暦 唐と中国の暦、大蔵経本の宿の表、1684年以降の日本の暦
本命宿の出し方 旧暦の朔日の宿から、27宿を順に進める 牛宿も1日分数えるので、同じ生年月日でも宿が違うことがある
三・九の秘法 27=3×9 で、命・業・胎の3組がきれいに分かれる 1宿余るので、3組に分けられない
当サイト 本命宿・相性・暦のすべてで使う 使わない

牛宿の扱い

明治の宿曜家、岡崎立命(虚空庵)は『二十八宿秘密奥儀伝』(1906年)を著しました。同書は、インドでは牛宿を除いて27宿とし、牛宿を加えて28宿にしたのは中国の天文家だと説明しています。同書は、牛宿は一日のうちの正午をつかさどるので、正午あたりの生まれの人を牛宿とする、とも書いています。

この説明は『宿曜経』の楊景風の注と同じ向きです。羽田師は、日本の密教占星法には牛宿の扱いが二つあると紹介しています。牛宿を正午に当てて日には当てない方法と、牛宿の日の午前を斗宿、午後を女宿とする方法です。高野山の岩原諦信師は逆に、牛宿を除かずに繰る方式を勧めました。岩原師は、牛宿を除くのも除かないのも経典に根拠があるので、実際の月の位置で確かめるほかないと書いています。

相性を見るなら27宿

宿曜占星術で相性を見るときは、三・九の秘法を使います。『宿曜経』の三九秘宿品は、自分の本命宿から数えて9つ先の宿を業、18先の宿を胎とし、残りを8つずつ栄・衰・安・危・成・壊・友・親に分けます。27宿を9宿ずつ3組に分ける仕組みなので、宿が28あると1つ余ってしまいます。現代のインド占星術の宿(ナクシャトラ)も、黄道を27等分した13度20分ずつの区切りです。筆者は、宿曜占星術がインド占星術を根に持つことを考えても、占いの仕組みとしては27宿のほうが筋が通っていると考えます。

経典を重んじる僧侶は、経に「吉祥の宿」と書かれた牛宿を無視しにくいのだと思います。筆者は仏教徒ではあっても僧侶ではなく、市井の占い師です。相性を見る以上、占い師としての実用では27宿の宿曜占星術と三・九の秘法を学んでおくのが本筋だと、筆者は考えています。当サイトのツールも27宿で計算します。

インド占星術・西洋占星術との違い

宿曜占星術は旧暦の日付だけで宿を出し、インド占星術と西洋占星術は実際の星の位置を計算します。同じ「宿」という言葉を使っていても、出し方が違うので別の占いです。

三つの占星術の比較

項目 宿曜占星術 インド占星術 西洋占星術
基準 月の宿(27宿) 月の宿(ナクシャトラ27)と惑星の配置 太陽の星座(12宮)と惑星の配置
暦 旧暦の朔日の宿から、日付の数で進める 実際の月の位置を13度20分ごとに区切る 実際の太陽と惑星の位置
要る情報 生年月日だけ 生年月日・時刻・出生地 生年月日・時刻・出生地
主に読むもの 本命宿の性格、二人の宿関係、日の吉凶 ホロスコープ全体と運の時期 ホロスコープ全体と性格・運勢
現在の姿 日本の占い師が使う インドで暮らしに根づく 世界で広く使われる

ナクシャトラと27宿の違い

インド占星術のナクシャトラは、黄道を27等分した13度20分ずつの区画です。生まれた瞬間の月の黄経を天文計算で求め、どの区画に入るかで宿を決めます。宿曜占星術の本命宿は、旧暦のその月の朔日の宿から、日付の数だけ宿を進めて出します。月の位置を計算せず、暦の日付で宿を決めるのです。Kタロー氏は対談で、月の位置から出す宿と、朔望の暦から出す宿は「派」の違いではなく別物だと語っています。

西洋占星術は太陽の星座(12宮)と惑星の配置を読みます。『宿曜経』の十二宮も、ギリシアからインドを経て入ったこの仕組みです。ただし宿曜占星術の実占では、十二宮より27宿と七曜が主役になりました。月は太陽より速く動くので、宿曜は日ごとの吉凶を読むのに向いています。

宿曜占星術で使う星と宮

『宿曜経』に出てくるのは、七曜、二十八宿(実占では27宿)、十二宮の三つです。羅睺・計都を加えた九曜と北斗七星は、平安の宿曜道と密教の星の祈りで加わりました。名前は『宿曜経』巻上の表記にそろえています。

宿曜占星術の本尊

経名にある文殊師利菩薩です。矢野先生が述べるとおり、文殊菩薩は経の権威付けのために名を借りたものですが、宿曜道は文殊菩薩を本尊として仰ぎました。

二十八宿

『宿曜経』は昴宿から数え始めます。順に、昴・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫・角・亢・氐・房・心・尾・箕・斗・女・虚・危・室・壁・奎・婁・胃の27宿です。牛宿は斗宿と女宿のあいだにあり、本命宿の計算では使いません。宿ごとの性格は計算ツールのページに載せています。

七曜と九曜

七曜は日・月・火・水・木・金・土の七つで、『宿曜経』は宿と七曜の組み合わせで日の吉凶を説きます。曜日という考え方は、この経典とともに日本へ入りました。羅睺(ラーフ)と計都(ケートゥ)は月の軌道と黄道の交点で、日食と月食を起こす見えない星として数えます。矢野先生によると、この二つは『宿曜経』ではなく、宗叡が持ち帰った『七曜攘災決』などの後の書で扱われました。鎌倉時代の宿曜勘文には、九曜の位置が書かれています。

  • 日曜星・月曜星・火曜星・水曜星・木曜星・金曜星・土曜星(七曜)
  • 羅睺星(ラーフ)・計都星(ケートゥ)(加えて九曜)

北斗七星

北斗七星は『宿曜経』の中では、朋友の日にかかわる星として名が出てきます。宿曜道の本山は北斗降臨院という名で、北斗七星は宿曜師の祈りの対象でした。

  • 貪狼星(とんろう)
  • 巨門星(こもん)
  • 禄存星(ろくぞん)
  • 文曲星(もんごく)
  • 廉貞星(れんてい)
  • 武曲星(むごく)
  • 破軍星(はぐん)

十二宮

『宿曜経』巻上は、27宿を十二宮に配ります。宮の名前は今の星座と対応しますが、経典の表記は今と少し違います。師子宮(獅子座)、女宮(乙女座)、秤宮(天秤座)、蝎宮(蠍座)、弓宮(射手座)、磨竭宮(山羊座)、瓶宮(水瓶座)、魚宮(魚座)、羊宮(牡羊座)、牛宮(牡牛座)、婬宮(双子座)、蟹宮(蟹座)の十二です。双子座に当たる宮は、巻上では「その神は夫妻のごとし、ゆえに婬宮と名づく」と書かれ、巻下では男女宮と呼ばれています。

よくある質問

宿曜占星術と宿曜占いはどう違いますか?

同じ占いの二つの呼び方です。本や研究では宿曜占星術、雑誌や占いの店では宿曜占いと呼ぶことが多く、中身は変わりません。宿曜術、宿曜道と呼ぶこともあります。このページでは両方の呼び方を使っています。

『宿曜経』はいつ日本に伝わりましたか?

806年に、唐から帰国した空海が持ち帰りました。『御請来目録』に経名と「二巻四十紙」の記録があります。そのあと円仁が847年、円珍が858年にも請来しました。占いとして本格的に使えるようになったのは、957年に日延が符天暦を持ち帰ってからです。

宿曜道とは何ですか?

『宿曜経』と符天暦をもとに、平安中期の密教僧が作り上げた占いの一派です。宿曜師が貴族や皇族の生年月日から宿曜勘文という鑑定書を作り、陰陽道と競い合いました。鎌倉時代を頂点に衰え、室町のころには表舞台から消えました。

27宿と28宿はどちらを使うべきですか?

相性を見るなら27宿です。相性に使う三・九の秘法は27宿を9宿ずつ3組に分ける仕組みで、28宿では1宿余ります。『宿曜経』もインドでは牛宿を日に当てないと書いていて、日本の写本と暦は長く27宿でした。当サイトのツールは27宿で計算します。

宿曜占星術とインド占星術の違いは何ですか?

宿の出し方が違います。インド占星術のナクシャトラは、実際の月の位置を13度20分ごとに区切って決めます。宿曜占星術の本命宿は、旧暦の朔日の宿から日付の数だけ進めて決めます。インド占星術は生まれた時刻と場所が要りますが、宿曜占星術は生年月日だけで占えます。

三・九の秘法とは何ですか?

『宿曜経』の三九秘宿品にある、宿どうしの関係の決め方です。自分の本命宿から数えて9つ先の宿を業、18先の宿を胎とし、残りを8つずつ栄・衰・安・危・成・壊・友・親に分けます。27宿を3組×9宿に分けるので、三・九と呼びます。相手の本命宿がどこに入るかで相性を読みます。

いま自分の宿を調べる

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参考文献

  • 『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』不空訳・楊景風注、大正新脩大蔵経 第21巻 No.1299(CBETA 電子仏典)
  • 『舎頭諫太子二十八宿経』竺法護訳、大正新脩大蔵経 第21巻 No.1301(CBETA 電子仏典)
  • 矢野道雄『密教占星術 宿曜道とインド占星術』東京美術、1986年
  • 岩原諦信『光の宗教 新訳宿曜経』高野山、1948年(序文の年)
  • 上住節子『宿曜占法 密教占星術』大蔵出版、1990年
  • 羽田守快『密教占星術大全 『宿曜経』現代語訳総解説』学研パブリッシング、2011年

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